No.34コロナ、短歌を読まれたい、メルヘン
なぎさちゃん。
ついに真夏のピークが去ったよ。もう9月下旬だっつーの、ねえ。晩夏どころか盛夏が九月下旬まで続くなんて、本当に地球は温暖化しておる。地球を冷やしてあげたい、わたしのくだらないオヤジギャグで(別に言わない)。
と、いうか。
コロナコロナ。わたしが先に風邪をひいて、夫にうつしたところ、夫がコロナの診断だったので、つまりわたしもコロナだったってこと?ってことになってる。コロナの夫と濃厚接触しまくってうつらないところを見ると、やっぱり火元がわたしだった、つまりわたしが先にコロナだったと考えるのが妥当かなーと思って。
いやーコロナ二回目だけど、わたしコロナに強い。というか熱全般に強い気がするよ。38℃とか出ても普通に動けちゃう
でもね、夫がもう1週間以上38℃とかの熱が続いていて仕事もできていなくて大変そう。三連休で熱が落ち着くことを期待しているけれど、今日もまだ38℃あるらしくてだりーだりー言ってる。コロナ怖いなってなったわ。
短歌のアンテナ。
確かに笹井宏之さんって布団の中ですべての歌を作ったんだよなって考えるとすさまじいね。確かに笹井さんになれるわけではないけど、歌の種をキャッチできるアンテナを澄ませていきたいね。短歌ムズカシイよー。
短歌ってどうやって作るんだろう(根本……)。というか何を短歌と呼ぶんだろう。31文字の散文ではなく、短歌として成立するには何がいるんだろう。何が57577の文字の連なりを短歌たらしめるんだろうか。
この前読んでいた短歌についての文章に「枡野と木下はだめだ」くらいのことが書いてあったんだけど、そういう短歌を読む人だけじゃなくて一般の人に受け入れられているキャッチーなものをダメと思う人はいるじゃん。何がダメなのかわたしにはよくわからなかったけれど、夫に言うと、「伝統的な短歌とそうしたライトな短歌は、演歌とJ-POPみたいなもので、演歌から見て「J-POPなんてなってない、音楽じゃない」とか言うのナンセンスでしょ。J-POPにはJ-POPの価値があってそれを多くの人が認めていてちゃんと音楽だし意味があるもの。それと一緒」って言ってた。
実はわたしは枡野さんの短歌も木下さんの短歌もそんなに好きじゃないんだけど、好きな人、価値を感じる人がたくさんいるのは知っているし、その中にはライトな層もたくさん含まれていると言うこともわかっていて、そうして裾野を広げることで、産業としても潤う可能性があるし、新たな才能が出てくる可能性も上がるし、いいことばっかりじゃんとか思っちゃうね。
うみべの喫茶店ってさ、どうやったらもっと読まれたんだろうね?あの当時わたし結構真面目に考えていて、まずは返報性を利用しようと思って、いろんな人のフリーペーパーや作品集を読んで感想書いたけど、その相手がわたしたちのネプリを読んでくれたりはしなかった。Twitter(当時)で告知頑張っても全然意味が無かった。
その頃の結論としては、「有名な人と仲良くなってその人とTwitter(当時)で絡んだりしてファンをつくってネプリを出すしかないんだろうな」という身も蓋も無いものになった。「じゃあ無理じゃん」って思ったよね、だってわしそもそも歌会にすら出たこともないし短歌やる知り合いいないし。
でもやっぱ短歌やってるんだから、広く読まれたいって思うよね。昔は自分の憧れの人に認められたいとかでコツコツ地道に作ったものだよって書いてある本もあったけど。
むずかしいよ。
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メルヘンをひとつください雲たちがいわしになって空を行くころ
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薬用のメルヘン飲んで目を閉じる列車の車輪は心臓の音(メルヘン)