あんず飴と月面着陸する日まで

mahと岡田奈紀佐の交換日記

No.29 昭和日常、ダサいまま、さよなら

まーちゃん、真夏のピークは去ったんだろうか。
って言いたいところなんだけど、名古屋は気温こそ下がったもののずっとむしむししてるよ。隅田川って舗装されちゃってるんだねえ、春のうららのあの隅田川。うちの最寄りの矢田川の河川敷は夏草ぼうぼうでそれどころではない(そこまで近くもない)。
うちは32℃超えたらエアコンつけていいルールだったな。それで十分だったもん。水道水もちゃんと水だったし。家のクーラーが縦型で、そうそうエアコンじゃなくてクーラーとストーブだったんだ。これも昭和的エモかもしれない。夕立の降り方って情緒があったよね。

昭和的エモといえば、北名古屋市というところにある昭和日常博物館に行ったんだよ。こぢんまりとしてるんだけど、昭和の高度経済成長期の大量生産大量消費を示すようなものをたくさん収集していて、店舗を再現したりいい感じに展示していて圧巻だったよ。われわれが生まれる少し前の年代のものがスペースいっぱいにたくさんあって、うわーすごいなーって思いながら見てたんだけど、この「すごいな」っていう感想ももエモを感じてるからこそなのかな、とはちょっと思った。昭和との向き合い方にエモが持ち込まれる世の中になってしまった。

苔は標本みたいなガラスびんに入っててときどき水をやってるんだけど、もう少し光に当てた方がいいよなぁと思いつつ日中家に誰もいないのだった。苔によってはヒロシが思うより簡単かもしれない。ぽよぽよ跳ねるまりも!それは見たら愛でたくなっちゃいそう。そういや昔まりもって粗悪乱造(?)されてたよね。彼らは今どうなってるんだろう。

植物に好意的な感情って、小さい頃にはなかったなあ。常に祖父が菊を生けている家だったんだけど、「菊だなぁ」以上の感想がなかった。なんで大人になるとグリーンに目覚めるんだろう。授業とかで触れなくなるからかなあ。
植物の気持ちはどこにあるんだろうって思うこと、わたしにもある。光の方に向かって咲く花とか見てると、ちゃんと光を感受してるんだよね。光を感知して、光の方を向いて咲くことは、果たして「そういうもの」だからなんだろうかって。脳がなくても光の方を向く判断をしてるんじゃないかなーって思う。
そう思うと、動物より下っていう認識は違うような気がする。別の仕組みで動いているだけで。オマール海老だったかな、従来の調理方法だとオマール海老が苦痛を感じるので調理の仕方を変えましょうっていう話があったのは。そうなのか、と思いつつ、あらゆる動植物はその生を終えるときに苦痛を伴うのでは、とも思った記憶がある。
生を終えるときに苦痛を伴うということに気づいてしまったとしても、生を受けた以上は誰かの命を食べて生きていかなきゃいけないんだよねえ。どれだけ思考が発達してもその構造からは抜け出せないのだから、シンプルに考えておいしく食べて生きていってもいいんじゃないかな、という自分への言い訳である。

危機の危機!笑 しかしなりたい大人像にはぜんぜん近づけないままだぜ。子を産むことを選べずに生きてきた結果、未だにどこか子どものままというか、大人になってないような意識がある。あと2ヶ月もすりゃ40だってのに。たまに「子を産んだことで主役から降りられたような気がする」っていう経験を見かけるけど、産まなかった場合はどう降りればいいんだろうな、ってずっと思ってる。何者かにならなきゃいけない意識を降ろせないままというか。だって40近くなっても何者かになりたい自分のままだなんて思わなかったよ、みっともないしダサいままだ。そしてダサさに耐えきれずにまた悶える、そういう夜が未だにあるよ。ダサいついでにとうとう交換日記にまで書いちゃった。

ダサかろうがおいしく肉や野菜や魚を食べて、短歌をつくって生きるのだ、わたしは。

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買い言葉さよならことだまよもすがら夢見た部屋に声だけ残った

 

 

金曜を締めくくるためさよならを三度唱えるおじさんになる(さよなら)