あんず飴と月面着陸する日まで

mahと岡田奈紀佐の交換日記

No.28 苔、大人、残った

暑い。

 

なぎさちゃん。

いやー暑いね。川にでも飛び込みたい気分だけれど、お盆に水遊びはよろしくないしそもそも至近の隅田川は河川敷がない舗装された道しかないので不可能なのであった。
子供の頃はエアコンなんて滅多につけてもらえなかった(それでしのげてたんだよねえ)ので、もっと小さい頃に使っていた小さい風呂みたいなやつに水をためて弟とよく水浴びしてたなあ。ああいう昭和の風景も、今の子達からしたら「エモい」んだろうか。夕立とか、好きだったな。ざーっと街の音がかき消されて、涼しくなる。今のゲリラ豪雨とは全然違う良さがあったけど、思い出補正なのかもしれない。

 

苔。

 

苔育ててるのいいね。苔はさー、良さしかないよね。なんか悠久の時を感じる。でも苔育てるって難しいってちびまるこちゃんの父ヒロシが言っていたような。
今日上野科学技術博物館にまりもを見に行ってめちゃくちゃ育てたい気持ちでいっぱいなんだけど、水槽が要るものはそう易々と導入を決められないのでしばし悩もうと思う。まりも小さくて水の流れに合わせて跳ねててめちゃくちゃ癒しだった。はぁ。水と緑は本当によい。

 

大人。

 

でもさ、子供の頃ってそんなに植物に好意的な感情あった?どっちかっていうと、どっちでもいいというか、好きでも嫌いでもないし、好きか嫌いか考えるようなものでもなかったよなあって。だから大人になって花を愛でたり苔を大切にしたりするっていうのが、なんかすごい変化な気がする。どうしてなんだろうね。
植物って、脳が無いから多分意識は無いだろうと予想されるのだけれど、ストレス物質が増えたり減ったり、動物を威嚇するためにおじぎをしたり、虫を食べる花すらあるじゃない?だから、単純に「動物より下」とか「動物のために消費されて当然」とかではないと思うのだよねえ。
ベジタリアンとかビーガンの人たちにそのことについて聞いてみたい。わたしはいっときフィッシュベジタリアン(魚だけ食べるベジタリアン)をやっていたときには基準がはっきりとあって、「目の前で捌かれて食べれるものは食べる」を実践していて、魚は目の前で殺されても食べれるなあと思って食べてたんだよね。
ビーガンは意識とか痛みの有無を判断の基準にしているそうなんだけど、でもさ、草や花も強いストレスがかかるとストレス物質を出すんだよ。それって無視できない。

まあ、わたしは目下牛も豚も鶏も食べるけれどね。美味しく。人って高度に文明化してさまざまなことを客観視できるようになったかもしれないけれど、動物なんだから結局生き物を食べることでしか生きていけないからねえ。言い訳かしら。

 

middle age

 

大人というかミドルエイジか。わたしは気にせず中年を自称するけれど笑。確かに渋くなりたい。でも軟派な雰囲気が滲み出てしまうぜ。思慮深く、慈愛に満ちた、趣味などに打ち込んでいるカッコイイ中年に憧れるけれど、現実にはミドルエイジクライシスの危機(危機の危機)の方が近いかもしれない。何も生み出さない毎日に、いかに絶望しないか。

 

変な話ばかりしてしまった。

 

頭が熱気でのぼせたのかもしれない。今日は35℃の中、外出×3なので仕方ない。明後日から台風。買い出し行っておかないとなー。

 

では短歌。

 

○⚫︎○⚫︎

 

半袖の跡が残った二の腕を暦の上の秋が訪ねる

 

 

買い言葉さよならことだまよもすがら夢見た部屋に声だけ残った(残った)